大阪家庭裁判所 昭和43年(少ハ)12号 決定 1968年6月06日
少年 K・Y(昭二三・六・一〇生)
主文
少年を昭和四三年六月一〇日から同年九月九日まで中等少年院に継続して収容する。
理由
本件申請の要旨は、少年は、昭和四二年四月二七日当裁判所において、中等少年院送致の決定をうけ同月二八日奈良少年院に入院し、昭和四三年六月一〇日満二〇歳に達し期間満了となるところ、入院以来喧嘩など反則事故多く、現在処遇段階は一級下で犯罪的傾向が矯正されたと認められず、引き続き三ヵ月間収容して矯正教育をなす必要がある、というのである。
当庁調査官の調査結果と少年の供述、奈良少年院教官の意見、などを総合してみると、次のとおりの事実が認められる。少年は、奈良少年院に収容されてから次のような反則事故をくり返した。すなわち、(一)昭和四二年六月二九日喧嘩、器物損傷、(二)同年七月二六日喧嘩、(三)同年八月二一日賭博をするため花札を作り二級上から二級下に降級、(四)同年九月一四日新入生に対する圧迫、(五)同年一一月一五日暴行、同教唆により再び二級上から二級下に降級、(六)昭和四三年一月二九日新入生から石けん喝取、(七)同年三月一三日煙草の授受、(八)同年四月二四日新入生に洗濯をさせたなどである。現在でも反則に出るような言動がみられ、単独室に起居させ特別処遇生となつている。少年は、知能は普通級であるが、表面上社交性があるようにみえるも、本来自己中心的で行動は軽卒で思慮にとぼしく、自己の勝手な欲求どおりにならないと短気を起し、粗暴な振舞に出て、しかもやくざのような虚勢を示すので、他の温和な少年から嫌われ孤立的な存在である。しかも、少年は、かつて他の中等少年院(和泉少年院)に収容されていたことがあり、いわゆる施設なれしていて、その処遇が困難である。ただ少年は、退院を予測してか、ここしばらく粗暴な行動に出ることを慎んでいたこと、最近自動車運転免許を取得しようと努力し、その資格取得についてなお二ヵ月くらいの期間を要すること、少年が処遇段階一級上に達し、退院準備に必要な教育を施すにはじ後三ヵ月を要する見込である。
従つて上記の事実を考え合せると、少年はいまだ犯罪的傾向が矯正されたとは到底いえず、少しでも自己批判ができ他人との協調や連帯感をもたせるよう教育する必要があり、これに運転免許を取得させこの面から社会的適応性を具備させるためには、引き続き収容を継続することを要し、その期間はどうしても三ヵ月を必要とするものと認める。よつて、少年の収容継続は、昭和四三年六月一〇日から同年九月九日までとするのが相当と思料し、少年院法一一条四項二項により主文のとおり決定する。
(裁判官 藤本清)